つくし会は、学校法人北里研究所と診療特約を締結している企業および健康保険組合からなる組織です。
北里大学北里研究所病院は、北里研究所の創設者である北里柴三郎により明治26年(1893年)に設立された、本邦初の結核専門病院「土筆ヶ岡養生園」に起源を発していますが、昭和20年(1945年)5月23日と同月25日両夜の大空襲によって、附属病院と養生園の大部分が焼失しました。 終戦後の日本では、天然痘、コレラ、発疹チフスなどが流行し始めていました。当時よりワクチンを製造していた北里研究所は、幸い焼失を免れた本館建物においてワクチンの製造を行うことができました。 診療部門(現当院)においては、焼け残ったツべルクリン製造室をささやかな診療所として、軍部から払い下げを受けたポータブルレントゲン1つを頼りに、少数の職員で細々と診療を続けていました。
その後、北里柴三郎博士生誕100年の記念事業が進められ、昭和29年(1954年)、旧養生園跡に鉄筋コンクリート造5階建て、延べ3,867平米の近代的な附属病院が建設されたのです。この事業の実現は、伝染病撲滅に寄与する北里研究所のワクチン製造や診療活動に賛同していただいた銀行や企業の多大な支援によるものでした。この支援に対して、北里研究所はこれらの企業・銀行の患者さまに良心的な診療特約を結びました。これらの企業・銀行が提携し、組織されたのが「つくし会」です。 契約した会社・銀行は、昭和39年(1964年)10月時点で69社に上りました(開院後に契約した会社もありました)。
2021年 現在60社
2020年4月より一部改訂となりました
※その他、医療啓発にかかわる講演、産業医の派遣などのご要望にも対応いたします。
北里大学北里研究所病院(港区白金)
北里大学東洋医学総合研究所【漢方鍼灸治療センター】(港区白金)
北里大学メディカルセンター(埼玉県北本市)
毎年10月に総会を開催し、事業報告や会計報告が行われます。また、医療関連の講演も開催しています。