2015年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学特別栄誉教授の大村智博士。多くの人々を熱帯病の病魔から救う薬を生み出した背景には、大村博士の信念と、創設者である北里柴三郎から脈々と受け継がれてきた「北里精神」がありました。
大村博士が北里研究所に入所したのは1965年。当時の所長で抗生物質研究の第一人者、秦藤樹博士のもとで放線菌の生産する抗生物質ロイコマイシンやスピラマイシンなどの構造決定を行うなど大きな成果を上げました。しかし、やがて自身でも新しい物質を探索する研究へと大きな方向転換をしました。その後、米ウエスレーヤン大学の客員研究教授として1971年に渡米します。
そこに待っていたのが米製薬大手メルク社の元研究所長で化学界の重鎮であるマックス・ティシュラー教授でした。この「人生最大の出会い」が、世界トップクラスの研究者らとの交流へと広がっていきます。世界最先端の研究動向を知ることができたことは、のちの大村博士の研究活動にとって大きな糧となりました。
1973年、北里研究所から帰国の要請を受けた大村博士は、日本での研究資金を得るため、アメリカ東部にある製薬企業5、6社を回り、共同研究の申し入れをしました。全ての企業が大村博士からの申し入れに同意し、研究費の導入を示してくれましたが、ティシュラー教授に紹介されたメルク社と共同研究契約を結びます。その内容は、北里研究所の大村グループがメルク社から資金提供を受け、創薬につながる微生物由来の化学物質を見つけて同社に提供する、メルク社はその物質に関する特許を取得し、薬を開発して販売する、実用化された場合は北里研究所に特許ロイヤリティが支払われるというもの。
双方にメリットがあり、合理的なこの方法は「大村方式」と呼ばれ、メルク社から希望額の研究資金を導入することに成功します。当時の日本ではほとんど例のなかった「産学連携」のはしりでした。
北里研究所に戻った大村博士は、研究室の研究者達と製薬企業が注目していない動物用抗生物質の探索研究に取り組みます。研究者達と各地の土を持ち帰り、分離した微生物を培養し、分析する日々。地道な努力が実り、メルク社と共同で74年に伊豆の土壌から分離した放線菌が生産する化学物質「エバーメクチン」を発見します。その後、この物質が動物の寄生虫を減らすことが明らかになり、動物の抗寄生虫薬「イベルメクチン」として実用化されたのです。
イベルメクチンは家畜の寄生虫だけでなく、犬のフィラリアにも効果を発揮し、動物薬の世界的ベストセラーに。その後、大村博士はメルク社の研究者達と議論しながら、アフリカや中南米などに蔓延していた感染症で、悪化すると失明に至るオンコセルカ症に効く薬イベルメクチンの開発を進めます。また、足が象のように腫れあがるリンパ系フィラリア症にも効くことがわかり、メルク社は大村博士の同意を得て、世界保健機構(WHO)を通じてイベルメクチンを感染地帯の住民に無償供与することを決定しました。1974年からWHOがアフリカの西海岸で行っていたオンコセルカ症撲滅作戦に1988年からこの薬が導入されました。また、その後リンパ系フィラリア症撲滅作戦にも導入され、現在も年間2億人あまりの人々をこれらの感染症から守っています。
さらに沖縄や東南アジアなどで流行していた糞線虫症や、日本でも老人施設などで蔓延しているダニが原因の疥癬(かいせん)という皮膚感染症に効果をもたらすことが判明すると、この画期的な新薬はますます注目を集めました。
大村博士は日頃から若い研究者らに「独自性をもつことが大切」と説いています。これまで研究対象として注目されなかった動物薬に目をつけ、人間用の薬へと発展させたのは、まさに大村博士の「独自性」でした。博士は「成果をあげることができたのは、我々の研究室には外国企業が太刀打ちできない強みである、自然界から微生物を分離する優れた技術と必ずいいものをみつける、という強い信念があったから」と振り返ります。「人まねはしない」という大村博士の信念が多くの人を救う新薬の開発へとつながったのです。
大村研究室ではその後も有用な新物質の発見を目指して種々の独創的な探索系を構築して研究を進め、約500種の新たな化合物を発見。そのうち26種が実用化されています。基礎研究にも力を入れ、放線菌がエバーメクチンをつくるメカニズムを解明するため、世界に先駆けて放線菌の全遺伝子を解読することに成功しました。
2015年10月5日、ノーベル生理学・医学賞受賞決定の発表後、行われた記者会見で、大村博士は研究のやりがいについて聞かれ、「やってきたことはたいてい失敗したけれど、1度でも成功を味わうとやめられなくなる。そこが研究の楽しさです」と答え、「一度失敗したからといってあきらめないこと。失敗は必ず役に立つと信じて」と若い研究者や学生らにエールを贈りました。
大村博士はさらに、「科学者というものは、人のためにやらなくてはだめだ」という北里柴三郎の「実学の精神」について触れ、「微生物の力を借りて、何か人の役に立つことはできないかと絶えず考えていた」と語りました。
「人のためになることをしなさい」とは博士自身、子どものころ、いつも祖母からいわれていた言葉でした。実学を重んじ、人や社会のために尽くすこと。人まねではなく、オリジナリティを追求すること、何度失敗してもあきらめない不撓不屈の精神――これらは北里柴三郎から大村博士へ、そして、次代の研究者へと受け継がれていく「北里精神」なのです。